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南三陸町にて①
 南三陸町に入ったのは13日深夜。ボランティア活動は翌14日朝から始まった。
 現地のボランティアセンター本部を取り仕切っているスタッフに聞くと、お盆の期間中は、どのセンターも活動を休止したらしく(家族を亡くした現地の人たちにとって、新盆でもあったため配慮したようだ)、「お盆中、ボランティアを受け入れているのは南三陸町だけです」との説明もあった。
 この日、私に割り当てられたのは、新井田と呼ばれる地区のがれき処理だった。
 この新井田地区は、海岸線からはおよそ700~800メートル内陸に入ったところだ。今回の東日本大震災前まで、公営住宅が並んでいたという。実はチリ地震の津波による被災後にできた木造長屋の仮設住宅が、そのまま、公営住宅となったらしい。お年寄りらを中心に町民が暮らしていたが、今回の震災で、木造長屋は跡形もなく、姿を消したとのことだだった。津波のすさまじい力をまざまざと見せつけられた気がした。
 現地で、ボランティアリーダーから「大きながれきはすでに片づけています。それ以外のがれきを燃えるもの、燃えないものに区分けして集めてください」との説明を受け、いよいよ活動をスタートした。
 もともと、住宅があった地域だけに、ズタズタに引きちぎられた洋服やズボンなどの衣類や、財布、ビニール袋など日常生活で見慣れたモノがいたるところに散乱していた。中には、車のナンバーもあった。漁師さんが使っていたであろう、大きな魚網も土の中に埋まっていた。住宅の柱に使われていたと思われる大きな木片もあった。
 それにしても驚いたのは、スコップで土を掘り返すと、30~40キロはゆうにありそうな大きな石やブロックの塊が、いたるところで見つかったことだった。明らかに、津波によって流されてきたものであり、自然の猛威をあらためて痛感した。
 がれき処理をしながら、ふと気付いたことがあった。それは、この新井田地区を取り囲むように林立する樹木が、約10メートルの高さまで、枝葉がなかったり、また、紅葉のように茶色く変色していたことだった。海水を被ったことによる塩害だと思われるが、海岸線からこんな奥地に入っても、これだけの津波の高さがあったのかと思うと、言葉を失ってしまった。
 南三陸町では、仮設住宅が完成したり、また、プレハブでコンビニや飲食店が営業を再開をするなど、徐々にではあるが、被災者の生活を支える環境整備が進みつつあるようにも見えた。が、しかし、震災前の水準には遠く及ばないのも、また現実であろう。そして、ボランティアができる仕事は、無数にあることを実感した。復旧・復興にはやはり、行政の力だけでは不十分で、ボランティアの役割が、ますます重要になる気がした。(続)
 



 
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[2011/08/24 01:30] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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